2010年05月01日

【水俣病 第2の政治決着】(上)揺れる患者の思い 生きているうちに救済を(産経新聞)

 「おやじ、やっとここまで来たよ」

 鏡のように穏やかな熊本・不知火海を見下ろす父の墓前に水俣病被害者らで作る芦北の会会長、村上喜治さん(60)は特別措置法に基づく未認定患者の救済が5月1日に始まることを報告した。

 20年前に亡くなった父親の源作さん=当時(70)=は病室で「腹割ってもらえば、(水俣病)患者と分かるたいに」と言い残したという。源作さんは水俣病特有の手や足先のまひ、歩行障害などを訴えていたが公害健康被害補償法に(公健法)による患者認定申請の結果は「保留」。患者として救済されたのは死後5年後、約1万人が対象となった平成7年の「政治決着」だった。

 「おやじのように死んでから救済されても何もならんとですよ」

 この時、支払われた一時金で建てたのが源作さんが愛した不知火海を一望できる墓だった。

                 ■   ■

 父と同じ漁師の道を継いだ村上さん自身も「おやじよりうすい(症状が軽い)」が中学時代からすぐにバランスを崩し骨を何度も折った。たぐったはずのロープがいつの間にか手からすりぬける。13年前に海に出るのを断念した。患者認定申請は3度行ったが認められなかった。7年の政治決着でも、右脚の感覚があるとみなされ、基準である「四肢(両手両足)末梢(まっしょう)神経の感覚障害」にあてはまらないとされた。

 この政治決着に応じず残っていた関西訴訟の最高裁判決で、より広い患者認定の基準が認められた3カ月後の17年1月に会を結成。

 会員は約300人。平均年齢は70歳になり、すでに8人が死亡した。「生きているうちに救済してほしい」という思いに駆られ、県や地元選出の国会議員に働きかけた。

                 ■   ■

 国と県、加害企業チッソを相手取り、司法救済にこだわってきた「水俣病不知火患者会」(約2900人)もこの3月、熊本地裁で和解の基本合意が成立。患者会副会長、桑鶴親次さん(62)は和解に踏み切った理由について「特措法が昨年7月に成立し、このままでは行政主導で救済内容が決まってしまう。第三者の裁判所のもとで救済されたかった」と行政への不信感をあらわにした。

 患者会の会員の高齢化が進んでいるという事情もある。桑鶴さんは「今回は一応の到達点。後はどれだけの人が救われるかだ」と語る。訴訟派と法による救済を望む行政派。割れていた患者もようやくその歩みを同じくさせ始めた。

 一方、「住民の健康調査も行われず、何の救済にもなっていない」とあくまで裁判闘争を続ける「水俣病被害者互助会」(原告9人)もある。第2水俣病とされる新潟の患者らの訴訟は和解に向けた事前協議が続いている。

 「不満は消えないし、手を挙げられない人も残る。全面解決はたやすいことではないがなんとか終わらせていかなければ。会としても活動を続けていく」 

 村上さんは決意を新たにする。

                   ◇

 村山内閣時代の「第1の政治決着」以来、3万人以上の大規模な未認定患者の救済実現見通しになった水俣病。公式確認から54年となる5月1日、救済の申請が始まる。患者らの軌跡と水俣病が抱える課題を追う。(杉浦美香)

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posted by qkdfc2vnwn at 02:49| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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