2010年05月28日

<普天間移設>28日に3党首会談 日米声明に先立ち(毎日新聞)

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題を巡り、政府は27日、移設先として同県名護市の「辺野古周辺」と明記した日米共同声明を28日に発表する方向で連立与党内の調整を続けた。これに反対する社民党党首の福島瑞穂消費者・少子化担当相は声明から「辺野古」を削らない限り、政府対処方針の閣議署名に応じない姿勢を崩していない。

 鳩山由紀夫首相は28日夕に記者会見を予定しており、同日午前、福島氏、国民新党代表の亀井静香金融・郵政担当相との与党党首会談を開いて自ら最終調整に乗り出す方針だ。

 政府は党首会談で社民党の理解を求めたうえで共同声明を発表し、臨時閣議で対処方針を決定後、首相会見を開くシナリオを描く。27日には対処方針に「将来の県外・国外移設」を目指す文言を盛り込むことを社民党に打診。社民党は同日夜、国会内で福島氏と重野安正幹事長ら党幹部が協議したが、共同声明からの「辺野古」削除を求める福島氏の姿勢は固く、結論を28日に持ち越した。

 このため28日午前の党首会談後、社民党が反対したまま声明が発表される可能性も出てきた。臨時閣議を開いて福島氏が署名を拒否すれば、首相は福島氏を罷免するか、閣議で決定手続きをとれないまま記者会見を開くかの選択を迫られる。首相は27日夜、記者団から罷免の可能性を問われ「まだそのようなことは一切考えていない」と語った。

 ◇社民分裂含みの局面

 閣議での署名拒否は社民党の連立離脱に直結しかねない重大決意だ。同党内は連立政権に残って県内移設反対を主張する意見が大勢。27日夜の幹部協議は福島氏と他の幹部との激しい応酬となった。

 重野氏が「連立離脱は沖縄のためにならない」と説得すれば、又市征治副党首も「党が分裂してもいいのか」と妥協するよう要求。福島氏は「(署名拒否は)党の常任幹事会で決めたことだ」と反論し、又市氏が「あんた、党首から罷免するぞ」と声を荒らげる場面もあったという。連立を揺さぶる社民党自身、分裂含みの苦しい決断を迫られている。

 政府はすでに対処方針への移設先明記をあきらめ、共同声明との「二枚舌」で連立の危機を回避する苦肉の策を探っていた。しかし、それでも署名を拒否する福島氏のかたくなな姿勢は、連立パートナーの亀井氏を動かした。

 ◇亀井氏説得、福島氏応じず

 「共同声明は事務的なものだ。政府対処方針が政治決定になるのだから、閣内に残って力を維持することを考えるべきだ」。社民党の幹部協議に先立つ27日午後、福島氏と国会内で会談した亀井氏は共同声明に「辺野古」が明記されても連立にとどまるよう福島氏を説得した。しかし、福島氏は応じず、「日米共同声明に辺野古と書いてあって、政府対処方針にないのは二枚舌だ」と批判。出席者によると、いら立った亀井氏が「(連立から)そんなに出ていきたいなら、出ていったらいい」と口をとがらす場面もあったという。

 平野博文官房長官は同日の記者会見で、閣僚の署名が不要な「首相発言」によって政府対処方針を示す案にも言及した。その後、首相官邸で会談した重野氏から共同声明の文言削除を求められたが「不可能に近い」と拒否した。【西田進一郎】

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2010年05月15日

ポートアイランド 街開き30周年 住民パワーゼロから文化築く(産経新聞)

 ミナト・神戸の海に広がる「ポートアイランド」(神戸市中央区)が、街開きから30年を迎えた。六甲山系の開発に伴う土砂を利用して埋め立てる「株式会社・神戸市」の象徴となった職住近接の人工島は、人間でいえば働き盛りにさしかかり、変貎(へんぼう)をとげる一方、高齢化などの問題も生まれている。その陰で、住民たちは今も“島の伝統”を紡ぎ続けている。(木ノ下めぐみ)

 市中心部の三宮からわずか約2キロの「ポーアイ」は、「住む・働く・憩う・学ぶ」を一体化させた人工島というコンセプトで、昭和55年3月に第1期部分(443ヘクタール)が街開き。初めて島民として移り住んだのは約300世帯だった。街開きとともに入居した中辻恵造さん(61)は「三宮へ出るにもバスが1時間に数本で、食料品は行商頼み。ゼロからのスタートでした」と振り返る。

 翌56年、地方博の先駆けとなる「ポートピア’81」の開催に向け、島と三宮を結ぶポートライナーが開通して以降、利便性は飛躍的に向上した。同博覧会には延べ1600万人以上が来場。島の人口は、平成2年には約1万7千人に到達し、島内の市立港島小は児童数1700人超と全国有数のマンモス校となった。

 中辻さんの長男は同校の1期生。長女も島が完成した年に誕生し、まさに“島の子”だった。「子供のために誇れるふるさとをつくりたいという思いは、住民共通だった」と話す。

 歴史も伝統もないまっさらな街で、住民はゼロから自分たちの文化を創造した。その象徴が「港島太鼓」。同校の児童と教諭が56年に始めた和太鼓曲は、今も受け継がれている。

 一方、時とともに島を取り巻く環境は大きく変わった。平成8年には2期部分(390ヘクタール)の分譲が始まったが、前年に阪神大震災が起き、企業が次々と島から撤退。オフィス街の入居企業は、昭和63年の41社から現在は29社に減った。

 居住者も約1万5千人に減り、うち21%が65歳以上の高齢者。港島小の児童数は600人を切った。島に10年以上住んでいた女性(38)は「子供のころは街のエネルギーを感じたが、街全体が寂しくなったように感じる」と話す。

 だが今、島内には若者の姿が目立つ。平成18〜19年の間に4つの大学が進出。地元のイベントに参加する学生も増えている。「いろんな連携を考えたい。30年と言わず、40年、50年と歴史を重ねていきますよ」と中辻さん。島の歴史は、住民自身の手による草の根パワーでつづられていく。

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